参照型教材を徹底して使い倒す(その2)
実際の作品を読み進めるなかで、そこに含まれる言語材料をひとつひとつ拾い上げ、じっくりと吟味していくというやり方に対し、とりあえず基本文法はひと通り先に学ばせようというアプローチがあります。
前の記事では、そのアプローチが抱えるリスクと、リスクを抑えるには主教材を進める中で参照型教材を頻繁に参照させることが必要とお伝えしました。本日はその続きです。
❏ 最初に道具を揃えさせるやり方が抱える「限界」
最初のうちに道具立てを整えてしまおうという指導は、別の場に置き換えてみると、そのつらさと面白味のなさ(味気なさ?)が想像できるかもしれません。
バスケットボールで、ゲームをまったくやったことがない子供に、ひたすらパスの繰り返し、そのあとはピボット…と、基本技術だけを切り出して練習させたらどうなるでしょうか。
ほどなく音をあげるか、あるいはうまくさぼる方法ばかり覚えてしまったり、練習に呼んでも姿を隠し体育館に来なくなくなったりするかもしれません。
そもそもゲームをしてみないと、自分にどんなスキルが足りないのか気づけません。ゲームを楽しむことと、今やっている部分練習の関係性にも思いが及ばないのは当然です。
基本は、使ってこその基本です。どれほどプリミティブなことでも、使う機会がないものは基本と呼びません。
❏ 学ばされているとの意識から離れるメリット
実際に将棋を指すことなく、コマの動き方だけ書いた紙を渡されて、「明日までに全部覚えろ」と言われても困惑するばかりですよね。
同じような一覧表が与えられても、それだけを端から順番に覚えていく場面と、実際に将棋を指しながら、その紙を参照しながらコマを動かしてみる場面を想像してみてください。
両者の違いは明らかです。前者に比べ、後者の方がはるかに面白いし、練習している/覚えさせられているという意識はかなり薄くなります。
ゲームに集中して幾度も同じような動かし方をするうちに、覚えるという意識をあまり持たずに必要なことは自然に覚えていきますし、戦術も同時に学べます。
桂馬は2つ先の両脇に動けるということと、うっかり飛び出すと歩の餌食になるということとは、それぞれ学べる場面が違います。
❏ 参照型教材は、本来の目的通りに使うべき
前稿では、項目を一つひとつ取り出して順番に理解していく方法では、目に見えるものを着眼点に問題文を観察し、どの知識を利用する場面かを判別する方法が学べないと申し上げました。
これに加えて、以下の2点も抑えておきたいポイントです。
❏ 実践の場を重ねながら、知識を蓄えていく
大工さんは、見習いとして家を作る工程をひとつずつ経験しながら、まずはトンカチでくぎを打つことを覚え、ノコギリで木材を切ることを覚え、やがてノミやカンナを使う場を経験するようになって、一通りの道具を使いこなせるようになります。
ちなみに現役大工さんによれば、最近は、トンカチ(とは呼ばず、「玄能」 だそうです)もノコギリもあんまり使わず、ホチキスと丸鋸が主だそうで…。このあたりのズレには目をつぶってください。
閑話休題。実際の文章を読み進めるなかで、ひとつひとつ重要な言語材料(文法・語彙・句法など)を拾い上げて使い方を含めて学ばせても、「記憶は上書きされて取り出せなくなる」 という問題は解消されません。これをどう解消するかは重要な課題です。
ここでポイントになるのは、先の将棋の例で挙げた「コマの動かし方を一覧にまとめたもの」 です。
❏ わからないことに出会ったときに頼れるもの
勉強を進める中でわからないことがあっても、「これをみれば何とかなる」と思えれば、わからないまま立ち止まることも減るはずです。
学ばせるたびに、解説が書かれたページを開かせて、そこに書かれていることを確かめさせましょう。
常に手元に持たせ、覚えきるまで繰り返し、頻繁に参照させることが大切です。
参照するソースを一か所に集約しておけば、あちらこちらを見る手間も防げますし、必要な箇所をじっくり学ぶだけに、仕上げ切らずに放置することも減るはずです。
❏ 参照の頻度は再記銘の回数
日付を書き込んだり、マーカーで印をつけたり、次の機会に「あ、あの時に見たやつだ」 と認識できるようにしておくことも大切です。
教室を覗いてみると、気の利いた生徒は単語集の方に教科書での初回登場ページを書き込んでいました。
こうした作業を、半年とか1年という期間をかけて繰り返していけば、単語集や文法書の項目の多くには、いろいろなしるしや書き込みが残っていて、その多くは、頻度に応じた定着が図られているはずです。
良く使うものから順番に覚えていくというのは中々難しいことですが、この方法なら自然に実現しそうです。
その3に続く
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
前の記事では、そのアプローチが抱えるリスクと、リスクを抑えるには主教材を進める中で参照型教材を頻繁に参照させることが必要とお伝えしました。本日はその続きです。
❏ 最初に道具を揃えさせるやり方が抱える「限界」
最初のうちに道具立てを整えてしまおうという指導は、別の場に置き換えてみると、そのつらさと面白味のなさ(味気なさ?)が想像できるかもしれません。
バスケットボールで、ゲームをまったくやったことがない子供に、ひたすらパスの繰り返し、そのあとはピボット…と、基本技術だけを切り出して練習させたらどうなるでしょうか。
ほどなく音をあげるか、あるいはうまくさぼる方法ばかり覚えてしまったり、練習に呼んでも姿を隠し体育館に来なくなくなったりするかもしれません。
そもそもゲームをしてみないと、自分にどんなスキルが足りないのか気づけません。ゲームを楽しむことと、今やっている部分練習の関係性にも思いが及ばないのは当然です。
基本は、使ってこその基本です。どれほどプリミティブなことでも、使う機会がないものは基本と呼びません。
❏ 学ばされているとの意識から離れるメリット
実際に将棋を指すことなく、コマの動き方だけ書いた紙を渡されて、「明日までに全部覚えろ」と言われても困惑するばかりですよね。
同じような一覧表が与えられても、それだけを端から順番に覚えていく場面と、実際に将棋を指しながら、その紙を参照しながらコマを動かしてみる場面を想像してみてください。
両者の違いは明らかです。前者に比べ、後者の方がはるかに面白いし、練習している/覚えさせられているという意識はかなり薄くなります。
ゲームに集中して幾度も同じような動かし方をするうちに、覚えるという意識をあまり持たずに必要なことは自然に覚えていきますし、戦術も同時に学べます。
桂馬は2つ先の両脇に動けるということと、うっかり飛び出すと歩の餌食になるということとは、それぞれ学べる場面が違います。
❏ 参照型教材は、本来の目的通りに使うべき
前稿では、項目を一つひとつ取り出して順番に理解していく方法では、目に見えるものを着眼点に問題文を観察し、どの知識を利用する場面かを判別する方法が学べないと申し上げました。
これに加えて、以下の2点も抑えておきたいポイントです。
- 実践の中でこそ、足りないスキルや知識に気づき、学びに意味を見いだせる。
- 知識そのものを獲得することと、その使い方を身につけることは似て非なるもの。
❏ 実践の場を重ねながら、知識を蓄えていく
大工さんは、見習いとして家を作る工程をひとつずつ経験しながら、まずはトンカチでくぎを打つことを覚え、ノコギリで木材を切ることを覚え、やがてノミやカンナを使う場を経験するようになって、一通りの道具を使いこなせるようになります。
ちなみに現役大工さんによれば、最近は、トンカチ(とは呼ばず、「玄能」 だそうです)もノコギリもあんまり使わず、ホチキスと丸鋸が主だそうで…。このあたりのズレには目をつぶってください。
閑話休題。実際の文章を読み進めるなかで、ひとつひとつ重要な言語材料(文法・語彙・句法など)を拾い上げて使い方を含めて学ばせても、「記憶は上書きされて取り出せなくなる」 という問題は解消されません。これをどう解消するかは重要な課題です。
ここでポイントになるのは、先の将棋の例で挙げた「コマの動かし方を一覧にまとめたもの」 です。
❏ わからないことに出会ったときに頼れるもの
勉強を進める中でわからないことがあっても、「これをみれば何とかなる」と思えれば、わからないまま立ち止まることも減るはずです。
学ばせるたびに、解説が書かれたページを開かせて、そこに書かれていることを確かめさせましょう。
常に手元に持たせ、覚えきるまで繰り返し、頻繁に参照させることが大切です。
参照するソースを一か所に集約しておけば、あちらこちらを見る手間も防げますし、必要な箇所をじっくり学ぶだけに、仕上げ切らずに放置することも減るはずです。
❏ 参照の頻度は再記銘の回数
日付を書き込んだり、マーカーで印をつけたり、次の機会に「あ、あの時に見たやつだ」 と認識できるようにしておくことも大切です。
教室を覗いてみると、気の利いた生徒は単語集の方に教科書での初回登場ページを書き込んでいました。
こうした作業を、半年とか1年という期間をかけて繰り返していけば、単語集や文法書の項目の多くには、いろいろなしるしや書き込みが残っていて、その多くは、頻度に応じた定着が図られているはずです。
良く使うものから順番に覚えていくというのは中々難しいことですが、この方法なら自然に実現しそうです。
その3に続く