問題意識を刺激する(学びのウォーミングアップ)
教科学習指導の目標の一つは課題解決力の養成です。その土台を作るために授業を設計し、必要な知識を与え、理解を形成しようとしています。しかしながら、生徒側での課題認識、問題意識が希薄であったとしたら、どれほど熱く教えても、「打てども響かず」「吹けども踊らず」ということになりかねません。
この最初のハードルを越えるには、「学ぶことへの自分の理由」を生徒一人ひとりが見出せるよう、仕掛けを講じていく必要があります。
❏ 解を導こうとする課題のタイプに応じた方法を
授業を通じて解を見つけようとしている課題(ターゲット設問)には、
前者タイプの課題を扱う場面なら、目標理解と活用機会を整える授業デザインに示したように、問いを示してその場で仮の答えを作らせるだけで、生徒は解消すべき不明/掘り下げてみたい疑問をみつけ、学ぶことへの自分の理由を持てます。
これに対して後者タイプの場合、十分な知識・情報を備えていなくても、「なんとなく答えらしきもの」を作れてしまい、学びを通じてクリアすべき自分の課題に気づけないことが往々にしてあります。
それまでに獲得していた知識で想像できる範囲を超えたところに、別の意見や問題の捉え方があることに気付かせないことには、「自分の答えが不完全で、正しい答えを作るのに学ぶべきことがある」との認識に至りません。
解を導くべき課題を提示し、その時点で導ける仮の答えを作らせるという手順に、異なる立場から導き出された答えと自分が作った答えの違いを知るためのワンステップを加える必要があるということです。
❏ プレ討論を通じて、見落としていたことに気付かせる
一つの問題に多様な捉え方や解決へのアプローチが存在し、賛否が分かれる、いわゆる「イシュー(論点)型」の課題では、学びの本題に入る前に行う"プレ討論"がとても効果的です。
生徒一人ひとりが導いた「仮の答え」や「その時点での意見」をもとにグループでディスカッションさせ、どのような意見の違いがあるのか探らせましょう。
そこでの成果をグループの代表者に発表させれば、40人全員の視野が広がり、多様性を高める機会となります。
公民の授業なら、「牛丼の値段は安いほうが好ましいのか」「TPPは得なのか損なのか」 などの討論テーマが考えられます。
数学なら、多様な解法が存在する問題を示して解き方を考えさせるのは、広い場面で使える手法です。
理科の授業なら、ある事実を観察させたりデータを読ませてから、それらを説明し得る仮説を考えさせたり、さらにはその検証方法を話し合わせてみるのも面白そうですね。
英語や国語では、題材を選びながら、本文内容に基づき筆者の主張への賛否を表明させ、その理由を挙げさせてみれば、様々な着眼点での意見が交わされるのではないでしょうか。
❏ 参加できない生徒がいたら、教育効果は期待できない
科目固有の知識・理解を用いて正解を導くタイプの課題を材料とする場合、討論に参加するには生徒が一定以上の知識・理解が備わっている必要があります。
解き方が思いつかない/前提となる知識を持ち合わせない生徒は、討論に参加することもままならず、傍観者としてその時間を過ごしてしまうのではないでしょうか。
これに対して、意見と対立を前提とするような「論点」について話し合う場合は、手持ちの知識や経験、直感だけでも、とりあえずその場の話に加わることができます。
たとえ頭の中の知識が足りなくても、教科書や資料集を読んで考える材料を集めたり、スマホやタブレットを使って外の情報を集めながら、自分の意見を作っていくことも相手の意見に反論することもできます。
自分が調べ出したことがグループで意見を作るのに役立ったとしたら、その快体験を通して「役割を担うことの喜び」を知るかもしれません。
このように考えてみると、誰もが討論に参加できる場面を作ることは、学習方策や探究スキル、協働性や主体性を身につけていく格好の機会と言えそうです。
❏ 賛否が分かれるべきところで意見が偏ったら要注意!
それぞれが考えるところや知識を持ち寄って、論点を取り巻くことがらを徐々に知っていき、そこに潜む問題点や様々な見方を生徒が意識できるようになれば、学びにむけたウォーミングアップは十分でしょう。
しかしながら、賛否両論があって然るべき論点で、最初から生徒の意見が賛成・反対のいずれかに極端に偏ってしまっては、如上の目的は果たせません。
もしかしたら、先生が言葉にはしなくても頭の中に想定している「正解」 を、生徒が読み取って(忖度して?)、それに合わせているだけかもしれません。
こうなってしまうと、生徒の意識は「で、結局、何を覚えれば良いの?」 という受け身の状態のままです。意見が偏りだしたら、先生が反対派を演じて見せるのも有効です。
時間に余裕があれば、最初の賛否とは反対の立場に身を置いたロールプレイに持ち込んでも面白そうです。
決め込んだ結論をサポートする材料を探すばかりでは、多様性や共生の資質は得られません。どうして自分とは違う意見を相手が持つかを、その立場に身を置いて考える場が必要です。
❏ 生徒自身に論点を見つけさせるステージへ
先生が用意した「お題」に沿って、生徒がきちんとプレ討論を進められるようになったら、もう一段先を目指しましょう。
ここで取り組ませるべきは、生徒自身でお題を作らせる活動です。
生徒に問いを立てさせるでも書きましたが、自分以外の人が立てた問いや設定したお題だけでは、学びが「自分事」になりにくいものです。
教科書に書かれたことを表層的に理解してわかった気になっていたり、疑うこともせずに鵜呑みにしているのでは心許ないところがあります。
書かれていることに対して、「どうしてこういうことが言えるのか」という問いを立て、他のソースに当たりながら裏付けを取ってみたり、行間に隠れている理由や経緯に思いを巡らせてみたりする姿勢も涵養したいところです。
学校を卒業して、自分の代わりに問いを立ててくれる人がいなくなる時を見越して、生徒自身が問いを立てる練習場面を経験させることはとても大切です。
教科書を読んで、その中に問いを立てるというタスクは、如上のプレ討論と同様に、本時の学びに問題意識を持たせ、自分なりの課題を作らせることになるとお考え下さい。
❏ ウォーミングアップで終わらせない
生徒の内にある問題意識を十分に刺激しておくことで、学びに向かう準備と態勢を整えさせる方策として、論点を設けたプレ討論は、実際にやってみるとその効果は十分に納得いただけると思います。
しかしながら、ここまでの活動は学びの準備に過ぎません。この後に続く学びこそが本番であり、成果を生むかどうかはこの先が勝負です。
論点が整理できたら、教科書に立ち戻って「考えるための道具(=知識)」を体系的に整えていく必要があります。また、仕組みを理解する理論的な枠組みを整えるには、先生からの問い掛けや説明も欠かせません。
こうして考える道具が整ったら、最初の問いに立ち戻って改めて自分の答えを作り直させれば、学びの仕上げに挑ませることもできます。くれぐれも、協働学習を"集団としての調和"で終わらせないことにも十分に留意しましょう。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
この最初のハードルを越えるには、「学ぶことへの自分の理由」を生徒一人ひとりが見出せるよう、仕掛けを講じていく必要があります。
❏ 解を導こうとする課題のタイプに応じた方法を
授業を通じて解を見つけようとしている課題(ターゲット設問)には、
- 答えが一つに決まる問題(正解要件を一義的に明示できる)
- 答えが一つに決まらない問題(着眼点で異なる様相をもつ)
前者タイプの課題を扱う場面なら、目標理解と活用機会を整える授業デザインに示したように、問いを示してその場で仮の答えを作らせるだけで、生徒は解消すべき不明/掘り下げてみたい疑問をみつけ、学ぶことへの自分の理由を持てます。
これに対して後者タイプの場合、十分な知識・情報を備えていなくても、「なんとなく答えらしきもの」を作れてしまい、学びを通じてクリアすべき自分の課題に気づけないことが往々にしてあります。
それまでに獲得していた知識で想像できる範囲を超えたところに、別の意見や問題の捉え方があることに気付かせないことには、「自分の答えが不完全で、正しい答えを作るのに学ぶべきことがある」との認識に至りません。
解を導くべき課題を提示し、その時点で導ける仮の答えを作らせるという手順に、異なる立場から導き出された答えと自分が作った答えの違いを知るためのワンステップを加える必要があるということです。
❏ プレ討論を通じて、見落としていたことに気付かせる
一つの問題に多様な捉え方や解決へのアプローチが存在し、賛否が分かれる、いわゆる「イシュー(論点)型」の課題では、学びの本題に入る前に行う"プレ討論"がとても効果的です。
生徒一人ひとりが導いた「仮の答え」や「その時点での意見」をもとにグループでディスカッションさせ、どのような意見の違いがあるのか探らせましょう。
そこでの成果をグループの代表者に発表させれば、40人全員の視野が広がり、多様性を高める機会となります。
公民の授業なら、「牛丼の値段は安いほうが好ましいのか」「TPPは得なのか損なのか」 などの討論テーマが考えられます。
数学なら、多様な解法が存在する問題を示して解き方を考えさせるのは、広い場面で使える手法です。
理科の授業なら、ある事実を観察させたりデータを読ませてから、それらを説明し得る仮説を考えさせたり、さらにはその検証方法を話し合わせてみるのも面白そうですね。
英語や国語では、題材を選びながら、本文内容に基づき筆者の主張への賛否を表明させ、その理由を挙げさせてみれば、様々な着眼点での意見が交わされるのではないでしょうか。
❏ 参加できない生徒がいたら、教育効果は期待できない
科目固有の知識・理解を用いて正解を導くタイプの課題を材料とする場合、討論に参加するには生徒が一定以上の知識・理解が備わっている必要があります。
解き方が思いつかない/前提となる知識を持ち合わせない生徒は、討論に参加することもままならず、傍観者としてその時間を過ごしてしまうのではないでしょうか。
これに対して、意見と対立を前提とするような「論点」について話し合う場合は、手持ちの知識や経験、直感だけでも、とりあえずその場の話に加わることができます。
たとえ頭の中の知識が足りなくても、教科書や資料集を読んで考える材料を集めたり、スマホやタブレットを使って外の情報を集めながら、自分の意見を作っていくことも相手の意見に反論することもできます。
自分が調べ出したことがグループで意見を作るのに役立ったとしたら、その快体験を通して「役割を担うことの喜び」を知るかもしれません。
このように考えてみると、誰もが討論に参加できる場面を作ることは、学習方策や探究スキル、協働性や主体性を身につけていく格好の機会と言えそうです。
❏ 賛否が分かれるべきところで意見が偏ったら要注意!
それぞれが考えるところや知識を持ち寄って、論点を取り巻くことがらを徐々に知っていき、そこに潜む問題点や様々な見方を生徒が意識できるようになれば、学びにむけたウォーミングアップは十分でしょう。
しかしながら、賛否両論があって然るべき論点で、最初から生徒の意見が賛成・反対のいずれかに極端に偏ってしまっては、如上の目的は果たせません。
もしかしたら、先生が言葉にはしなくても頭の中に想定している「正解」 を、生徒が読み取って(忖度して?)、それに合わせているだけかもしれません。
こうなってしまうと、生徒の意識は「で、結局、何を覚えれば良いの?」 という受け身の状態のままです。意見が偏りだしたら、先生が反対派を演じて見せるのも有効です。
時間に余裕があれば、最初の賛否とは反対の立場に身を置いたロールプレイに持ち込んでも面白そうです。
決め込んだ結論をサポートする材料を探すばかりでは、多様性や共生の資質は得られません。どうして自分とは違う意見を相手が持つかを、その立場に身を置いて考える場が必要です。
❏ 生徒自身に論点を見つけさせるステージへ
先生が用意した「お題」に沿って、生徒がきちんとプレ討論を進められるようになったら、もう一段先を目指しましょう。
ここで取り組ませるべきは、生徒自身でお題を作らせる活動です。
生徒に問いを立てさせるでも書きましたが、自分以外の人が立てた問いや設定したお題だけでは、学びが「自分事」になりにくいものです。
教科書に書かれたことを表層的に理解してわかった気になっていたり、疑うこともせずに鵜呑みにしているのでは心許ないところがあります。
書かれていることに対して、「どうしてこういうことが言えるのか」という問いを立て、他のソースに当たりながら裏付けを取ってみたり、行間に隠れている理由や経緯に思いを巡らせてみたりする姿勢も涵養したいところです。
学校を卒業して、自分の代わりに問いを立ててくれる人がいなくなる時を見越して、生徒自身が問いを立てる練習場面を経験させることはとても大切です。
教科書を読んで、その中に問いを立てるというタスクは、如上のプレ討論と同様に、本時の学びに問題意識を持たせ、自分なりの課題を作らせることになるとお考え下さい。
❏ ウォーミングアップで終わらせない
生徒の内にある問題意識を十分に刺激しておくことで、学びに向かう準備と態勢を整えさせる方策として、論点を設けたプレ討論は、実際にやってみるとその効果は十分に納得いただけると思います。
しかしながら、ここまでの活動は学びの準備に過ぎません。この後に続く学びこそが本番であり、成果を生むかどうかはこの先が勝負です。
論点が整理できたら、教科書に立ち戻って「考えるための道具(=知識)」を体系的に整えていく必要があります。また、仕組みを理解する理論的な枠組みを整えるには、先生からの問い掛けや説明も欠かせません。
こうして考える道具が整ったら、最初の問いに立ち戻って改めて自分の答えを作り直させれば、学びの仕上げに挑ませることもできます。くれぐれも、協働学習を"集団としての調和"で終わらせないことにも十分に留意しましょう。