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zoom RSS "丁寧に教える"ことを取り違えていないか

<<   作成日時 : 2018/01/15 08:07   >>

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先日、ある先生とお話をしている中で、こんなご意見に触れることがありました。
丁寧に教えていれば生徒は理解できるので、自分がその科目をできると誤解してしまう。進路を選んだ後になってその科目に適性がないことに気付いたのでは、入れたはずの大学にも進めなくなってしまう。丁寧に教えることが必ずしもよいこととは限らず、適性のなさに早めに気づかせ、ほかの進路を考えさせることも大事だ。
確かに適性のないところで拘っていても袋小路が待っているだけかもしれませんが、この意見には何か見落としているものがあるような気がします。


❏ 成績が伸びない≠適性がない

ひとつには、ある科目についての適性の有無がどこまで正確に把握できるのかどうかです。

一見するとセンスや適性がないように見えても、単に悪い学び方と習慣を身につけてしまっているだけかもしれません。

定期考査では頑張っているけど模試の成績が伸びないという生徒がいても、それだけで科目への適性がないと判断するのは乱暴です。

その科目を学び続けても展望はないと決めつける前に、学び方をよく観察して、正すべき点がないか見極める必要があると思います。

 ■ 次のステージに向かう準備は整っているか


❏ 丁寧に教えることは何かを取り違えない

授業中に提示された正解を覚える努力をすれば、定期考査ではある程度の点数は取れるでしょう。

でも、ある程度の点数が取れることに慢心していては、自分の学び方がまずいことに気付く機会を生徒は持てません。

ひと通り教えたら、次の問いの解き方を自分で考えさせ、解けなかったら考え方のどこに拙さがあったのか省みさせる必要がありますが、そうした場面がきちんと作れているでしょうか。

先生が作ってきた"正解に至る手順"を丁寧に伝えて、生徒に不明が残らないようにすることを以て"丁寧に教える"ということにはなりません。

丁寧に教えるとはどんなことなのか、教える側でもう一度考えてみる必要もありそうな気がします。

 ■ 「正解ありき」で教えていないか?


❏ 間違った学び方を習慣化した生徒もいる

自力で解法を考えさせる機会を持ち、そこで考えたことを言語化する習慣をその生徒が持っていなかったとしたら、教え方/学ばせ方を変えることで、その科目の学習に新たな光明をもたらす可能性もあります。

小学校以来、しっかり教えて、覚えたかどうかを確かめていくという教え方をされ続けてきた生徒がいたとします。

そうした姿勢が固定してしまっているだけなのに、自分で学べない、科目への適性やセンスがないと判断されては、才能は開花することなく眠ったままです。

数学苦手、理科嫌いなど、既に固まってしまった生徒の自己認識を覆すのは容易ではありませんが、あきらめさせる前にやるべきことがあるはずです。


❏ 消去法での進路選択が将来の可能性を狭める

伸びる見込みがあまりない科目を切ることは、進路先を確保する可能性を高めるかもしれませんが、将来に開け得る進路の可能性は逆に狭めてしまいます。

学問より学際が膨らむ中、専門以外の知識や理解が欠如していることが、将来の職業生活の中で大きなビハインドになる可能性もあります。

苦手に感じる科目があっても、粘って学び続けることは、認知の網を広く、穴が残らないように編む上でも大切です。

 ■ 認知の網の広げ方〜5教科7科目をきちんと学ぶ

冒頭のお話に戻ると、進路先を確保するために、効率を重視して不要な科目を切るという判断だと思いますが、その結果が"認知の網に残った大穴"というのはいかにも拙い気がします。

進路希望によって知識や理解を拡充する範囲を変えたり、演習量や学習時間を調整することは必要でしょうが、どの科目も切らずに学び続けさせることは大事だと思います。

 ■ 知識をどこまで拡張するかは個々のニーズに合わせて


教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一

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