発言がどこから生じているのかに思考を巡らせる

文章を読み、あるいは発言を聞いて、表現されている内容を正しく理解することは大切であり、「読むこと」の第一の目的であることに異論を差し挟むつもりは毛頭もありません。

しかしながら、時には直接的に表現されていることの奥にあるもの、主張の根拠や、発言に込めた意図、筆者のバックグランドや根っこの思想まで推し量り、さらには「この場面ならこの人は何と言うか/どう主張するか」まで踏み込んで考えて読むことも必要ではないでしょうか。


❏ 先ずは、根拠は何かを考え、裏付けをとること

社会で暮らしていると、様々な立場の人の発言に触れる中、「この人の主張に乗っても良いのか/任せていいのか」を判断しなければならない場面が多々あります。選挙で投票するときなどもその一つでしょう。

デマやフェイクニュースが出回り、それを鵜呑みにしてリツイートしてしまい、自らもデマの拡散に加担してしまうのは、発言の裏付けや根拠を確かめる姿勢が足りないことにも一因あると思います。

こうして考えてみると、言葉にされている部分だけを鵜呑みにするのはちょっと無防備/不用心に過ぎるような気がしてなりません。

"PISAが測定する「読解力」" の定義には前回から「質と信ぴょう性を評価する」という要素が新たに加わりましたが、定義の変更がなされたのは、もしかしたら如上の問題を踏まえてのことかもしれません。

根拠を確かめ、裏付けを取る姿勢を身につけさせるのに教室できることは、日々の授業の中、教科書に書かれていることでも「なぜこう言えるのか」「理由は何?」という問いを繰り返すことだと思います。

主張を挟まない(=中立な立場で書かれた)テクストを読むときも、
 現状や事実を正しく、過不足なく伝えているのか、
 裏付けとなるデータはあるのか、検証は可能か。
 他の見方をしたときにもその解釈は変わらないか、
といった具合に、事実であることを確かめる姿勢(ファクトフルネス)を持たないと、誤認に基づいて「誤った的に矢を射る愚」を犯すリスクを遠ざけることはできません。

発信者に悪意がなくても、発言のきっかけ/動機となった「事実」の認識に誤りがあったり、データが歪んでいたりすることだってあります。


❏ 立場の違う人が書いた文章の比較で矛盾を発見

PISAの読解力の定義にはもう一つ、「矛盾を見つけて対処する」が新たに加わりましたが、2018年の調査で日本人の正答率が全体の平均を下回ったのは、これら2つの要素を含む問題だったそうです。

普段の勉強で、教材に書かれていることを知識として素早く取り込み、正確に覚えることにエネルギーを注いでいても、なかなか身につかない能力・姿勢だと思います。

学ばせ方を改めていかないと、いつまでたっても「現代社会が求める読解力」は身につかず、平均以下から抜け出せないかもしれません。

授業で、あるテクスト(教科書の本文でも、教材にした資料でもかまいませんが)を読ませたら、同じテーマについて別の立場の人が書いたものも読ませてみても面白いのではないでしょうか。

社説などを資料として使ったなら、新聞各社のホームページでキーワードを使って記事検索すれば、最初に読んだのと違う切り口からの記事が見つかるはずです。同じ作家の別作品なら、図書室に足を運ぶだけですよね。ネットを使えば、海外の刊行物にもアクセスは容易です。英語の勉強も兼ねられ、一石二鳥かもしれません。


❏ 発言の背景まで想定してこそ、正しく読んだことに

文章であれ、発言であれ、言葉にされたものの背後には、発信者の意図するところや、思想、根っこにある考え方、あるいはその言葉を発する必然性が生じた文脈や状況など、言語化されていない部分があります。

そこまで想像が及び、正しく推定できてこそ、テクストを「読んで深く理解した」ことになるのではないでしょうか。

例えば、国語や英語で本文を読ませるとき、「この筆者はどんなバックグランドを持つ人か」という問いを与えてみたら、教室で実現する文章との対話も大きく変わるように思います。

サーチライトの灯し方で、探索して見えてくるものは違います。

昔からよくあるパターンとして、導入のつもりで本文の背景を先回りして説明してしまうやり方がありますが、如上の問いを与えて生徒にテクストとの対話に挑ませる授業と、従来型の先回り説明型とでは、生徒が学べる/身につけられるものは全く違ってくるはずです。

国語の授業や試験では、「このときの筆者の心情を説明せよ」といった問いは定番の一つです。「行間を読む」(=背景など、表現されていないことも理解する)ことは読解の大事な部分との認識が昔からあったからこそ、こうした訊き方が頻繁に用いられるのだと思います。

如上のダイレクトな聞き方に加えて、「筆者なら次の主張に賛成か反対か」「以下の状況にどう反応するか」と尋ね、理由を添えて答えさせるという問い方もあります。「この主張に添えば、次の解決策のどれを採るのが妥当か」なんていうのも、より深い理解が試せて面白そうです。

新テストの試行問題でも似たような問いがありましたが、新課程以降はこうした出題も(一部では)増えて行きそうな気がします。

この手の問いに答えるには、表現されたものの背後への想像と、正しい推定が必要になります。その力を養うにもトレーニングが必要ですが、こうした問いを教室で先生方が投げかけ続けて行くのが一番です。


❏ 読解力の育成は、全教科の先生が参画する総力戦

行間を読むことを求める如上の問いに解答者が作った答え(あるいは出題者が想定した正解)は、あくまでも「仮説」に過ぎません。

想定が本当に正しいかどうかを「検証」するには、本人に訊くか、当人が別の文脈でどんな発言をしているかを調べてみるなどの方法しかありませんが、いずれも「探究」の活動として好適だと思います。

これまで、行間を読む練習はもっぱら国語の授業やテストに任されてきたように思います。しかしながら、各教科の授業や総合学習/探究活動の中でもテクストを読む活動はふんだんにあるはずです。

たとえ教科書に書かれていることでも鵜呑みにせず、問いを立てて一つひとつ確かめながら読む姿勢を持たせる必要があるのは、前述の通りです。学習内容の拡張を図るための「調べ学習」では教科書以外のソースに当たることになりますので、より用心深さが求められます。

これらはまさに「質と信ぴょう性を評価する」ことの練習にうってつけの機会ではないでしょうか。

地歴公民で単元の内容を深く学ぼうとするとき、あるいは探究活動の研究課題を見つけたり絞り込んだりしようするときには、新聞各紙の社説を読み比べる機会などもあると思います。

当然ながら互いに相容れない主張に出くわすでしょうから、「矛盾を見つけて対処する」ことを実地に経験し、その力を身につけて行けます。

教室での様々な機会を余さずに活用して、これからの社会を生きて行くために必要な読解力を養っていきたいものです。



追記: あらぬところまで疑惑の目を向けて、相手の意図を捻じ曲げて邪推したりするのも、決して建設的な態度とは言えません。深読みが過ぎるというよりも、発言の背景にある真意を深く正しく理解する力に欠けているからこそ生じる過ちのような気がします。言語化された部分だけを見て鵜呑みにする迂闊さ、無防備さと、実は同じところに根っこを持つ問題なのではないでしょうか。


教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一